TEAM-NACS 第10回公演
「LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜」
〜脚本・演出 森崎博之〜
-------あらすじ-------
30歳のフリーター佐藤重幸は、
友人の音尾琢真の紹介で
大河ドラマ「新撰組」のスタンドインのバイト中。
カメラや照明の調整のために役者の代わりに同じ動きをする、
というただの代役にも関わらず
テレビ業界への関わりに浮かれていた。
そんな佐藤を冷めた口調でたしなめる音尾も、
誰もいなくなったスタジオでひとり殺陣や沖田総司の吐血シーンを練習してみたりする。
そんな中、佐藤は音尾に
「150年前に行って来た」と告げる。
狸小路で、怪しげな男(大泉洋)から時を自由に行き来できる薬を買って飲んだのだと言う。
黒い薬はひと包みで10年の時を行き
白い薬はひと包みで10年の時を遡る。
今宵限りのうたかたの夢を見られる薬。
白い薬を15包み飲んで150年を遡った佐藤は、
幕末の乱世の最中
新撰組へ辿り着いて
近藤勇(森崎博之)、土方歳三(大泉洋)、沖田総司(音尾琢真)、芹沢鴨(安田顕)らと出会い
自身は山南敬助となって彼らと行動を共にした。
時代の風向きが尊皇攘夷の中、
京都守護職預かりとして幕府側に立って活動し
徐々に名を響かせていた新撰組は
良くも悪くも注目の的だった。
破天荒な筆頭局長・芹沢鴨の振る舞いが幕府に咎められ
京都守護職・松平容保(森崎博之)から
内部で決着をつけるよう言い渡された土方は
放っておいても梅毒でもうすぐ死に至る芹沢に切腹を迫る。
妾の梅に、同じ病気で先立たれたばかりの芹沢。
脳をやられて死ぬ前に武士として死ぬ事を願い、
切腹を受け入れる。
「雪霜に 色よく花の さきがけて
散りても後に残る梅の香」
時世の句を詠む芹沢。
土方の介錯によって命尽きた。
現世に戻ってきた佐藤。
文字通り現実に引き戻される。
部屋は散らかり、掃除も食事の仕度もめんどくさい。
彼女を呼んで世話をしてもらおうと思うも、
その後の彼女の存在が面倒くさい。
自分の彼女にすら存在価値を見出せない。
日常は取るに足りない小さな事に始終し、
何もない日々。
「俺の人生、いつか何かあるって、ずっとそう思っていた」
何かを夢見てフリーターを続けてきた。
自分の表現の場所を探してインターネットに日記を綴るが、書くことがなく長続きしない。
自分の歴史を残そうと、年表代わりに写真を撮っても意義をなくしてしまう。
変えたいルーズな日々。
もう一度うたかたの夢を見るために薬を飲み、
今度は新撰組と対立関係の京都・長州藩邸へ辿り着いてしまう。
そこで出会ったのは、
自分たちの手で時代を動かそうと倒幕の志に燃える勤皇の志士、
宮部鼎蔵(森崎博之)、桂小五郎(音尾琢真)、古高俊太郎(安田顕)。
佐藤は古高の幼馴染、吉田稔麿になっていた。
新撰組の土方は、倒幕の志士達の憧れの人物・坂本竜馬になりすまして
勤皇派を煽ると同時に行動を把握し、彼らを摘発して
新撰組の功績を上げて「変ろうと」必死だった。
死に際に芹沢から託された局中法度をより厳格なものにして規律を正し、
近藤を全面に押し出して暗躍する。
幕府に使われるだけではなく、新撰組自身の手で時代を動かす力を得たかった。
土方扮する坂本の案で
京都御所に火を放ち、将軍を暗殺して
混乱の隙に天皇を略取しようという計画が持ち上がった。
その打ち合わせのために夜な夜な集結する倒幕派。
そこを狙って沖田に出動を命ずる土方。
ある密会に吉田として向う途中、新撰組に出くわす佐藤。
慌てて山南に戻り、密会場所に近藤らと共に行く。
新撰組の御用改めを聞いた倒幕派は散り、古高はその場を預かり留まった。
佐藤は隙を見て、隠れていた桂を逃がし
自刃を決意する古高を説得するが
スパイと思われ剣を抜かれてしまう。
近藤を呼び自分は助かったが、古高は取り押さえられてしまう。
捕らえられて新撰組に連れていかれた古高は、ひどい拷問に遭う。
どんな責め苦にも口を割らない古高に
土方は坂本になって会い、次の密会場所を聞き出す。
次の密会は、
京都三条河原町・池田屋。
土方は古高を斬り捨ててしまう。
古高の亡骸を見て嘆く佐藤。
土方は再び坂本として長州藩邸を訪れ、
古高の死で士気が下がった桂に喝を入れる。
動いてもらわなければ捕らえられない。
一番欲しいのは、桂の首。
大物捕りをすれは幕府に認めてもらえる。
いよいよ迎えた池田屋討ち入りの日。
倒幕側は、新撰組の策略により配膳係りに刀を預けさせられ脇差のみ。
圧倒的に新撰組が有利に働きそうな状況だったが、
長い刀は狭い室内でつかえて身動きが取りづらかった。
木刀を持った宮部と沖田、
脇差のみの桂と近藤が対峙する。
不利な勝負に負けた宮部だか、沖田は木刀のみで強さをみせつけた宮部に負けを認める。
宮部は「この勝負他言無用」と自刃する。
桂は脇差一本で近藤に圧勝。
近藤は痛めつけられながら、芹沢の幻と対話する。
「勇ちゃんはまだこっちに来ちゃいけねえ」
まだまだ死ぬわけにはいかない。
長州藩の援軍を寄せ付けないために坂本として奔走していた土方が遅れて駆けつけ、
近藤は助けられる。
「記録には無傷と書いてくれよ」
桂は次に土方と対峙する。
「土方は弱い」という専らの噂を聞いていた桂は
油断して傷を負わされる。
自刃を決意したところに飛び込んできた佐藤。
みんな日本を良くしたいという気持ちはひとつなのに、
方向性が少しずつずれていてる為に斬りあってしまう者達に納得がいかず
山南として、土方に
「大義名分が何だ。これが芹沢さんの残した誠の新撰組か」と詰め寄り
吉田として、桂に
「死んだ俊太郎のために逃げてくれ。」と諭す。
土方は
「多摩の片田舎で薬を売り歩いてた頃からずっと
自分の人生いつか何かあるとずっと思っていた」と、
歴史に名を馳せたい思いを語る。
土方も自分と同じ思いを抱いていた。
新撰組はちゃんと歴史に残る、
桂はいつか教科書でその名を習う、
150年後には藩なんて考えはない。みんなひとつになって日本になる。
桂を逃がそうとして、土方に斬られる吉田。
吉田稔麿は教科書で名前は習わない。
現代に戻った佐藤。
自分が去った幕末のその後を振り返る。
明治維新によって幕府はなくなり、
近藤は謀反の罪で打ち首になった。
沖田は白血病の悪化によって、近藤の死も知らずに若くして命を落とす。
桂(後の木戸孝允)は明治維新の立役者の一人になり、その後の日本の政治に参入。
吉田稔麿は死なずに維新まで生き残っていたら、
初代総理大臣になっていたであろうと言われたほどの人物だったとか。
吉田が桂を逃がさなかったら、
その後の明治維新はなかったかもしれない。歴史は変っていたのかもしれない。
時代が必要とするヒーローは一人。
影に埋もれた人々こそが、本当の主役なのかもしれない。
音尾はスタンドインでの演技が買われて
次回の大河ドラマ「坂本竜馬」ではちょい役がもらえるかもしれない。
素直に喜ぶ佐藤。
佐藤の中で何かがちょっと「変った」。
音尾は佐藤に、夢の続きを聞く。
最後の夢で佐藤は、船の上にいた。
新政府に対抗して蝦夷共和国を作るために
函館に向う土方に伴う市村鉄之助となって。
土方は鉄之助に遺品を託し、「この戦は勝てん」と告げる。
「夢を見たのだ。うたかたの夢を」
150年後の日本の姿を見てきたのだと言う。
なぜ、150年後なのか。
「昔の隊士に150年後を語る者がいたのだ」。
勝てないと分かっていても最後まで新撰組として戦うという土方。
歴史に名を残す事無く、志半ばで死んでいった者たちのために。
「ありがとうございます。」
思わず礼を述べる佐藤。
土方は、その後新政府軍の銃弾に倒れた。享年35歳。
ラスト。
語り部の佐藤に、遠くから新撰組の威勢のいい声が届く。
舞台に新撰組隊士が立ち並び、曲高鳴り終演。
-------感想-------
史実とは色々違う幕末のお話でした。
芹沢は梅と寝ているところを斬られたと言われているし、
時世の句も安政の大獄で捕らえられていた時に詠んだと言われています。
桂も池田屋には(事件のその時は)いなかったと言われているし、
それなら吉田が逃がしたという事実もないのでしょう。
無論坂本なりすまし説はあり得ないだろうし(笑)
けど歴史って
残っている物をヒントに後の歴史研究家とかそう言った人たちが
推測したものが史実とされているんですよね。
実際、「こうであろう」とされている説よりもっと面白い話が色々あるみたい。
芹沢の粛正は、土方たちが進んでやったようなイメージだけど
本当はこのLOOSERみたいに幕府から迫られて仕方なしにやったとか
桂は本当は池田屋にいて、「逃げの小五郎」らしくうまく逃げたのだとか。
新撰組や坂本竜馬のファンが観たら
「ありえん!!!」と怒ってしまうような話だったのかもしれないけど、
もしかしたら本当にこうだったのかもしれないって事はだれも否定なんて出来ないってのが面白かったです。
ファンタジーとして捉えればいいんですよね。
あと、土方が薬売りだったという史実から、
狸小路で佐藤に薬を売ったのは
自ら150年後にタイムスリップしていた土方だった
という設定はすげぇ!!!と思いました。
土方が薬を売ったから佐藤は幕末の時代にやってきて150年後を語り、
それを聞いた土方が150年後に行って
そこで出会った佐藤にタイムスリップの薬を売る。
どっちが先よ、というようなタイムパラドックスが面白かった。
あれは土方なんだなぁと勘のいい人はすぐ気付いたのかもしれないけど
全然気付かなかったおかげて最後の最後で小気味いい気分になれました。
実はそこのシーンまでは何か釈然としない気持ちで観てました(笑)
けど、あといくつかよく分からないところがありました。
幕末を見て、歴史に埋もれた人が実はそれぞれが主役かもしれないと感じたってのは分かる。
それを自分とどう重ねたんだろうと。
何もなかった自分の人生に自信を取り戻して
ルーズな日々とはさよならって事?
最後の佐藤の心情がはっきりしないのが残念でした。
そこまで書いたら野暮なんでしょうか。
バックグラウンドでモリが言いたい事ってのはなんとなく分かる気がするんだけど・・・。
あれだと
「新撰組ってすごかったんだなぁ」ていうお話になってしまう。
ルーズな男が失い続けるアルバムへどう決着をつけるか
という結末が待っていると思って観ていたので、しっくりこなかったです。
それじゃ結果的にLOOSERはつまらない作品だったかと言うと
すごく面白かったです(笑)
矛盾してるようだけど、
面白いだけに最後はちょっと残念だと私は思いました。
あとね、細かい事だけど
吉田が思わず古高を裏切ってしまう形になったシーン。
もうちょっと古高にすまなそうにしてもいいんじゃないかと思いました。
そうでないと
後で桂に必死に訴えるシーンがちょっと唐突じゃないかなぁと思います。
いくら時代の設定で幼馴染の吉田と古高でも
自分が関わらなくてもいずれ死ぬ人でも
佐藤にしたらついこの間まで見ず知らずの人だったんだから
「自分が死なせちゃった」くらいの負い目をおもいっきり背負ってないと
桂に訴える要素がないんじゃないかと。
そして
昔のNACSを感じさせる、と
どこかで見た(聞いた)ような気がして期待してたんたけど
そんなでもなかったです。
どこかで「どかーん!!」とパワー勢いテンションが来るのでは・・・
と思いながらラストまでいきました。
けどそれが悪いんじゃなくて、
私が観た事のないLOVER以前のNACSを観れるものならば観てみたいとずっと思ってたので
ちょっと期待してしまっただけです。
どこがどうって具体的に言葉で言うのは難しいけど
LOOSERにはちゃんと新しいNACSのパワーを感じました。
(天幕團の影響も強く感じました)
でも、あと3年後くらいに
「ものすごいムリしました」ってのをコンセプトにパワー勢いテンション芝居を
歌ありダンスあり5人で叫ぶタイトルコールありなどでやってくれたら面白いなぁと思うけど(笑)
ふと感じたのは、
モリってもしかしてすごく器用になったんじゃないかという事です。
(今まで特にやらなかったというのも充分考えられるけど)
照明がキレイだったり音楽がかっこよかったり赤い風船に目を奪われたり
そういう演出で瞬間的に盛り上げてくれる演出とは違う。
確かに「NACSじゃないみたい」なのかもしれないけど・・・
新しいって事にどきどきします。良かったんじゃないかと思います。
これを東京に持って行くんだなぁと考えながら観ていたらわくわくしました。
最初は、
「東京は北海道で観劇できない人が観れればいい」と思ってたんですけど
観ていると、東京で観たいなぁという気持ちにもなりました。
どんだけ改訂されるのかという点も興味があるけど
北海道以外の土地でNACSが動くその姿を観たいです。
舞台を踏む5人の気持ちと空気を一緒に感じ取りながら観たい
とそう思いました。
他のちょこまかした感想。
衣装かっこよかったですねー。
新撰組に赤い羽織って実際あったのですか?
よく知らないけど、よく見る青の羽織じゃなくてもちゃんと新撰組に見えました。
あの羽織を早変りでひっくり返す時にですね、
みんな今まで裏になってた方の首などの部分に汗じみができてるんです(笑)
けどそれが洋ちゃんはなかった。
やっぱり新陳代謝よくないですね。
それにしても洋ちゃんの土方は、特に維新後の黒い衣装のときは雰囲気が出てました。
私は出身が函館なので、よく土方の写真などは目にしてたんだけど
イメージがあんまり遠くないです。
大和屋惣兵衛とどうでしょうゼミナールの校長と同じ人とは・・・とても(笑)
顕ちゃんの演技は、笑わせるところもシリアスなシーンもものすごくよかった。
シリアスなシーンではすごく精悍な顔をするのでどきっとします。
自分の病気を「体中に梅が咲き乱れる」と比喩した台詞なんて最高でした。
びっくりするほどの色香を漂わせてました。
かと思うと殺陣シーンでの腰の回転も見事。
7日はぐるんぐるん回転してたけど15日にはさほどでもなかったのは
演出変ったんでしょうか。
芹沢鴨の「もしかしたら事実はこうだったかもしれない」の放火のシーンは腹がよじれるかと思いました。
たくちゃんは久々の若い役で、声色もちゃんと若者ぽく
40代がハマリ役と言われてるのが信じ難いくらいです。
本当に器用ですね。
パンフに書いていた「音尾琢真の新撰組」にちゃんとなってました。
ちょっとした微笑方や仕草などがすごく細かかったです。
楽日の「殿様ゲーム」のシーンはできることならスタンディングオベーションを贈りたかったです(笑)
楽日は近藤が「1番はリアルな犬のマネをして2番はリアルな猿のマネをして
犬猿の仲なんたけど最後には仲直りして抱き合い、ちゅーする」と言ったのです。
土方は「僕ちょっと有名なんだよ? 東京ではこのシーン考えないといけないな」と言いながら
マーキングのマネまで。
沖田は本物そっくりに飛び回り(泣)
近藤に「バナナだ」と殿様ゲームの棒を投げてよこされて
とっさに奪って逃げてすみっこでこそっと食べるという細かな芸をとっさにやってのけたのでした。
すごすぎる(笑)
近藤は次のシャー少佐ゲームで二人からびんたの逆襲をされてしまた。
しげちゃんは7日に声がかすれていてびっくりしたけど
楽日はそうでもなかったのでまたびっくりしました。(どうやって回復したのかと・笑)
剣は触れていたけど振れてなかったですねー・・・。
その他の4人はこれでもかというくらい剣を振り回していて小気味良かったです。
銃に比べたらどうしようもないくらい効率が悪くて野蛮な武器だけど
それだけに迫力が違います。
あれの本物を腰からぶらさげた人がうようようろうろしてたんだから、
そりゃ否応無しに生きる事への緊張感は今より確実にあったんだろうと思います。
悲しい事に現代とは生きる意義の、命の重みが確かに違うと
剣を通して感じました。
あと、しげちゃんに関しては、パンフでモリが
「絶望の演技がよく似合う」と書いてたけど
確かに絶望もいいけどコント要素のシーンもよかったです。
土方と山南が「どっちが弱い対決」する時のテンポはあの二人ならではだと思いました。けっこう好きです(笑)
楽日には殿様ゲームに加わるのかと思える台詞(というか多分洋ちゃんのアドリブ)
があったけど結局やらなかったです。やってみてほしかった。
4人書いたらモリの演技にしても書かないとないですか?・・・(笑)
モリはモリでした。
いつも通りのでっかい引き出しにつまったでっかい演技。
けど私はそれを期待して観ていつも観れて嬉しいのです。あのでっかい演技が。
最後の全体的な感想。
「やったじゃん!! モリ!!」。
半分書き直しただけある。
東京に行くときも、色々改善点はあるんだろうと思うけど
大きくは変えて欲しくないなぁと思いました。
胸を張って持っていっていいと思います。
演劇として優れいてるかどうかは、私は分からない。
けど「これがNACSです」と言っていい作品だと思います。
最後に。
NACSの公演にイナダの影も形も感じられなくなったのがちょっと寂しいです。
内部事情なんて知らないから勝手な感傷だけど。
ロピーはどこを見渡してもCUEさん関係者ばかり。
NACSはこうなったんだなぁと思いました。
-------パンフレット感想-------
パンフまで感想書くのかよ(笑)
けど今回のパンフはファンには嬉しいものでした。
特にNACSのほうのパンフが。
モリが書いてることは、見方をファンからの立場に置き換えて言っても
そっくり当てはまると感じて嬉しかったです。
会場に入るときは大泉洋のファン、出るときはNACSのファン。
NACSのファンになれてよかったなぁと思います。
本当にモリが言うとおり、
舞台を観ているから、テレビでバカな事をやっていても「あぁやってるなぁ」と
無意識に区別して見ていられる。
そんな感覚があります。
にしても自分の10年後が楽しみと言い切れるのは羨ましい事です。
しげちゃんの「NACSが目指すものは『CONVOY SHOW』」てやつ。
ちょっと前にCONVOYの話を友達としていて
40過ぎてからディナーショーなどもやっていると聞いて
「NACSもそんな風になるのかもね」なんて話していたのでちょっと笑えました。
冗談で言ったものがあながち間違いでなかったとは。
例えそう言ってるのがしげちゃん一人だとしても。
洋ちゃんが自分のことを「客寄せパンダ」と言い切れるメンバーとの信頼関係もすごいと思いました。
自分を観に来たお客さんに、NACSの魅力が伝わると信じている。
その信頼に応えるメンバー。
爽快です。
わざわざ言うとはばったいというか
色々思って今まで特に書かなかった事があるんたけど、
私はNACSが5人集まったのは奇跡の出来事だと思っています。
(言っちゃったなー)
総じてエンターテイメントを提供する集団てのは、
より良い形を目指して募ったり交代したり分離したり、
とにかく意識して選別されて出来上がっているものが殆どだと思います。
それがNACSはたまたま同期で仲が良かった5人がたまたま集まったつうんだもの。
ものすごい巡り合わせですよね。
それで別にどうってことのない集団だったら意味がないんだけど、
明らかに面白い。
これってなんだろう、すごく不思議な事だなぁと思っていたんだけど
パンフを読んだら
メンバー同士が互いにライバル意識を持って互いに信頼しあってるってのが
すごく大きいんだなぁと分かったというか。
そういうのって大事なんですね。
ちゃんと表に出て伝わるんですね。
いいパンフだと思います。
今後公演がある度に、NACSの何かの節目に、ずっと読み返せるものじゃないかと思いました。
40歳.50歳になってもNACSはあるみたいだし(笑)
その時までずっと面白かったら
既に「しげちゃーん」と言っている娘とディナーショーでも何でも行きます。
是非子供料金を。
おしまい
感想などございましたらコチラへお願いしたしまする→
(2004/03/19)