劇団イナダ組 第28公演「アレカラノコト」
〜作・演出 イナダ〜
観劇レポ <感想編>



一応ですね、
ストーリーの中に出てくる実際は存在しない人物はカタカナにしてみました。


シバタの台詞にありますね。
人は自分の都合のいいように記憶を塗り替える、と。
後半・・・怒涛のラストに一番肝心なところの記憶を塗り替えてしまってる気がします、私。


やせっぽちの順平と太ったスガヌマ(順平)が徐々に入れ替わるシーンで
血管が切れそうなほどの河野君の熱演に目を奪われ
そこから台詞とかよく覚えてません。
多分こういう事言ってた・・・という程度です。


ラストにかおりが読む順平のメールの内容をよく覚えてないのが悔しいんですよねー。
なんとなく、断片的には覚えてるんだけど文章にできるほどではない。
この芝居のテーマのようなものがぎっちり入ってたと思うんですけど・・・。
それ覚えてないって、悔しい。元取れてない(泣)





売りバンフのイナダさんの前書きにどきっとしました。


イナダさんは、久しぶりに会った女性のやせ細った姿を見て
「痩せたな」と言いました。
女性は「少しね」と答えたそうです。
イナダさんはふと、
「摂食障害の人の家族は、その症状に至るまで気付かないでいる」と本で読んだことを思い出しました。本人も言わずに隠すだろう。
再びちゃんと尋ねたそうです。
女性は「まさか!」と答えたけど笑みはなかった。


テレビや本の中だけの話だと思っていた現実がそこにある。
もしかして気付かないだけじゃないか。


そして、この芝居を書こうと思ったそうです。


「気付かないのは恐ろしい事だ」とイナダさんは言ってます。
本当にそうだな、と思ってどきっとしました。





このお芝居で順平は最後にいなくなります。
普通に解釈すればやはり自殺したんでしょう。
割り切れない悲しい話です。


テレビや本でこういう題材のドキュメントを見ててどうですか?
無意識に「心の病と戦って克服した感動のドキュメント」
っていうハッピーエンドを期待しちゃってませんか。
少なくとも私はそうです。


都合よく
「順平とかおり=互いに傷つけた者、傷つけられた者
として心の傷の原点を見出して向き合う事で心の傷を克服する」
なんて言う終わりを想像してました。


順平がいなくなったラストに「そんなのありか」と一瞬思いました。


アンケートを書いててふと思ったのです。
「だからこういうラストなんだ」と。


「だから」の前に来るべき文章は何よ・・・て話ですが


そうやって、気付かないのではなく
無意識に都合よくいい方に捉えちゃってるのが問題なのかなぁと思ったのです。
そうはさせないぞ、ちゃんと直視しろよ、と、
言われたような気がしました。


そう言えば、あの時も、この時も、もしかしたらあの言葉。
考えるときりがないです。
ここまで深刻な問題じゃなくっても、
日常で、ちゃんと向き合わないといけない人と
問題を摩り替えて誤魔化してすれ違っていやしないか。
自分とも。


だけど世の中の傷全てと向き合う事は不可能だし
誰でも触れられたくない事を大事に大事に伴創膏の中に隠し持ってるところはありますよね。
「この傷はこの人にだけは絶対に触れられたくないっ」て事もあるから、隠す。
更に問題は見えにくくなる。


もしかして伴創膏って表現は劇中に出てましたか?
忘れちゃってるのだけど、書いてるうちにデシャヴのように伴創膏という言葉があったような気がしたので、
もし出て来てたら教えてください。
赤っ恥なので訂正します。





デェ!(誰だよ)


他人を恨めたらもっと楽なんでしょうか。
順平が「自分が悪い」恭子が「ごめんね」と繰り返すのを、違和感を感じて観てました。もっと他人を恨めばいいのに・・・と。
そしたら誰かに分かってもらえて、誰かが助けてくれるかもしれない。
恨む心は汚いかも知れなし、そんな道徳はどこでも習わない。
けど恭子とかおりの二人は自分を責め続けることをやめるのだろうと思います。
順平は自分を責め続けた末にそうなってしまった。


人の心ほど頼りないものはないですね。
誰でも恨まれるのはいやだけど、
頑なに誰も恨もうとせず、自傷行為のように自分を責める人を見るのも辛い。





舞台にスクリーンがあった時「えー」と思っちゃいました。
集中力を分散できないほうなので。
案の定、舞台を観てればスクリーンに気が向かないし
(だからところどろこシーン別のタイトルが抜けている)
スクリーンを読んでいれば舞台が目に入らない。
そんなに激しい動きのある舞台ではなかったので、
スクリーンを読んでから舞台を観れは問題なかったのかもしれないけど
やっぱり先に舞台に目が行くので・・・。そうするとスクリーンの文字は読み落とす。
雰囲気は非常に出てたけど、トロいので両方はムリでした。


あと、かおりが食い散らかしてかおりが部屋から去ると
そこは恭子と順平が住む部屋へとあっという間に早変り。
散らかった部屋に恭子が帰宅して
「やれやれ・・・」という表情で片付けはじめることで順平が散らかした事になるのですが(多分)
次の台詞に移る前に
「順平、食べたら片付けてね」とかなんとか、台詞があったらより分かりやすくてよかったかもなぁと思いました。
だって片付け終わるまでの間が長すぎて。
あんなに長くなかったら、そんな台詞も全く不必要だとは思うんですけど。





そしてトラウマ的な心の傷を描くという点で前回のライナスと酷似してました。
照明の具合なんかも妙にダブりました。
ライナスに比べると割と静かで淡々とした舞台だったんだけど
根っこに流れるやるせない雰囲気とか、非常に似てるなぁと思ったんです。


古い時代背景を描いているという所が似ていたせいもあるかもしれない。
どっちとも、どこかに置いてきたものを探さないと、探さないと、と
自分でも訳の分からない衝動で観ていてそわそわする芝居でした。
すごーく、「早く思い出さないと・・・」と思っちゃうんです。
それが何なのかは全然分からないんだけど。
何故か、懐かしいんですよね。


ちなみに順平は私とほぼ同世代と思われます。多分2コくらい上。
レベッカやBOOWYが流行ったのは私が高校1年くらいの時でした。





飯野くんって
イナダ組に今までない新しいキャラクターが設定できるなぁと思いました。
すごい器用なポジションだなぁと。うまく言えないんですけど。


バンドの「ギク」のVTRは実際に三人が出演して撮り下ろしてて上部スクリーンに映ります。
飯野君がヴォーカルなんですが、あれはすごくお気に入りです(笑)
なんでBOOWYを聴いてる人があんなヘビメタのようなシャウトになるのよーて感じのエセギクでした。。
なんてシャウトしてるのか知りたい・・・。


シバタの存在はうまかったなぁと思います。
どこからともなく順平の部屋にやってきて
「これが俺の仕事だ」と、順平の心の一部なんだと匂わせる。
その事で、どうして順平の記憶の中に順平が存在せずに
変りにいつもスガヌマという男が存在するのか容易に理解できる。
すごくうまい作り方だと思いました。


あと、やっぱし河野君は非常によかったです。
デブデブ連呼されるという役柄で、河野君ありきの芝居と言っても
過言ではないくらいはまり役でした。
どちらかと言うと堂々としてて大様な役が多かった河野君だけど
「うそだ!」と言ってひぃひぃ泣くシーンなどは本当に心が悲鳴をあげてるようでした。


私が好きなシーンは、鳩の作文を読むシーン。
最初はおどおどして声も小さく先生に叱られているスガヌマが
鳩の事を語るうちにどんどん生き生きした表情になっていく。
神々しくさえ思えました。
それが文法の間違いという大人の正当論でずたずたに引き裂かれる。
自分の体験とちょっとダブって泣きそうでした。


「自分の好きな物語を絵にする」という美術の制作があったんですね。
んで、「老人と梨の木」とかなんとか言う本の内容を描いたんです。
先生は授業参観の日に、私の絵を指差して
「小学校高学年にもなって、こんな幼稚な木があるか」と言いました。


老人は仙人で、魔法で木に次々と美味しそうで丸々としていて水分をたっぷり含んだ梨の実をたたえさせるのです。
だからリアルな木じゃなくていいと思って、わざとそういう木に描いたつもりでした。
ショックでした。
そんな小さな出来事に、完全に自分という存在は認められていない、と
幼心にそう思った記憶が蘇って泣きそうでした。





最初、
順平とかおりの追い詰められた様と依存症に陥るプロセスの結びつきは弱い
と、感想として思いました。
けど自分のこんな小さな小さな悔しい出来事を照らし合わせてみると
そうでもないかな・・・と思ったりして。


絵をけなされた私は自分に自信の持てない人になりました。
そんな記憶も薄れて、小さなトラウマに支配されないくらいの経験を手に入れた今でも
一つの成功を笑って喜んでも心の隅でびくびくしている自分がいます。
けど私は女教師(私の先生も女教師)を恨むという自己防衛を施したので、それだけで済んだ(笑)
それに反して、やっぱり自分を責める気持ちはどこかにあるのです。
不必要に自分を責める気持ちって誰でもありますよね。
それを思うと、
あの描き方は過小でも過大でもないかな、と。





今一番怖いのは、親という立場になって
私は自分の子供にあの女教師と同じ仕打ちをしてやしないかという事。


依存症というテーマは重かったけど、
イナダさんはもしかして周りには
分からないだけでこういう現実は身近に転がっているのではないのかと思ってこの芝居を書いた。


依存症まで辿り着かなくても、
そこに至る一歩手前でぎりぎりセーブしている人、
それより深刻ではないけど、誰にも分からない傷を抱えている人。
違いは紙一重で、どごにきっかけがあるのか傷つけた張本人が一番知らない。
そこまで拡げたら、これは誰にでも当てはまるお芝居なんじゃないかと思いました。
自分を責める心を持っている人はきっと
「あなたが悪いんじゃない」と言って欲しい。


全くの創り事の舞台を観て自分の現実が浮き彫りになる。
気持ちいいじゃないですか。


やっぱり私はイナダ組のお芝居が大好きです。








               (2004/04/15)





-------タブーな追記-------





自分のレポをあげ、他サイトさんの感想を読んでいて目からウロコの事実を知りました


高校時代の真実を思い出した順平の回想シーン、
順平がかおりを部屋に押し戻しながら言った台詞。


大音響と早いテンポの台詞でちゃんと聴き取れてなかったのですが、
最後にかおりに向って「お前も太ってる」と言ったそうです。


おっ・・・っ!
それは感想がちと変ってしまうなぁと思ってしまい、
タブーな追記をしてしまいます。





だったら話の展開への伏線もスバラシイ。
依存へのプロセスが弱いような気がした、と書いた感想も撤回です。
ますます、すごくよく出来た芝居だと、それを知って思いました。


ただ、そんな
あるかないかで感想をがらっと変えてしまうような大切な台詞が聴き取りずらかったというのは
非常に残念ですね。





かおりが順平を「恨んでない」と言ったのは、
多分、自分でも分かってた悩みを他人からはっきりつきつけられただけのきっかけに過ぎなかったんでしょう、
かおりにしてみれば。
そんで自分を責める。


それどころか、あんなに取り乱した順平に自分と同じ物を感じでずっと気になってたのかもしれない。
だからずっと探す夢を見た。
順平を見つけることは自分を見つける事、って事なのかも。
見つけたとたんに彼はいなくなった。
でも恭子は「あなたは生きている」と言った。


二人とも失ったものにに絶望することなく
前に進めたらいいなぁと、ネクストストーリーが気になります。








               (2004/04/17 追記)